神泉苑 ふらりと入ってみました

街中の広くないのに明るく開放的、でも思いっきり歴史を持っている庭園

 街中に結構なオープンスペースの庭園が広がっている。案内に結構面白いことが載っていたので一緒に歩いてみよう。

 平安時代淳和(じゅんな)天皇は長引く干ばつに対して興福寺の守敏(しゅびん)と東寺の空海に対して祈雨の修法を命じた。守敏が1週間にわたって修法を行うも効果少なく、次に空海が当時大内裏に南接していた神泉苑にて修法を行うが1滴の降雨もない。

 調べると空海の名声を妬む守敏により国中の龍神が瓶に閉じ込められていた。しかしただ一体、善女(ぜんにょ)龍王だけは守敏の手から逃れていたので天竺の無熱池(むねっち)から呼び寄せて国中に大雨を降らせたという。

 また祇園祭に関しても、疫病が大いに流行り、神泉苑にて多くの御霊(みたま)を鎮めるため御霊会(ごりょうえ)が行われた。全国の国の数、66本の鉾を立てて、神泉苑の池にくりこみ、厄払いをした。後世には、これが町衆の祭典として、鉾に車を付け、飾りを施して京の都を練り歩く祇園祭へとなる。

 またこんなのもある。醍醐天皇が神泉苑に行幸になったときに鷺が羽を休めていた。帝は召使いにあれを捕らえて参れと仰せられた。召使いが近づくと鷺は飛び立とうとした。召使いが「帝の御意なるぞ」と呼びかけると鷺は地にひれ伏した。帝は大いに喜ばれ、鷺に「五位」の位を賜った。以降、鷺は「五位鷺」と呼ばれ、謡曲にも謡われるようになる。

 境内には、日本で此処だけという恵方社(えほうしゃ)や、京を愛した蕪村の歌碑もあります、茶店でお茶を頂き、水鳥のえさを買い求め鷺ならぬ、カモや都の雀と戯れてみるのもいい。

 池に架かる願い橋を、是非願い事をしながら渡って見てほしい。願い事が叶うと良い。

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